なおぞうのタイ日記

バンコク在住 二児のパパの日常

NHKドキュメンタリー レイテ戦記 

毎年、この時期になると太平洋戦争にまつわるドキュメンタリーや特集、映画が放映されます。

個人的に関心がある分野なので、いろいろ探して見る訳ですが、YouTubeで見たNHKのドキュメンタリー、レイテ戦記は考えさせられるものだった。特に、捕虜に関する考察。

これまで、日本軍の兵隊はなぜ捕虜にならず、玉砕や自決を選んだのか、不思議でしょうがなかった。軍隊がそう決めるのは分かるが、なぜ個人レベルでもその教えに従ったのか?生きて捕虜の辱めを受ける?いや、そんなの関係なく、捕虜になって生きようよ。と思っていた。

だが、この放送で捕虜の選択肢を選ばない理由が少しわかった気がする。

捕虜になると、衣食住が提供される代わりに米国による尋問がなされる。この尋問では、日本の各都市の地理情報や、軍施設、工場情報などが自らの知ってる範囲で洗いざらい吐かされる、とのこと。

タイミングは折しも戦争末期で日本各地が米軍爆撃機の空襲を受けていた頃。すなわち、自分が尋問で伝えた情報に基づき、日本空襲の精度が上がり、自分が生まれ育った故郷や思い出の地の被害を増やすかもしれないことを意味する。

この観点から、生きて捕虜の辱めを受けないとは、武士道的なものが根底にあるわけではなく、人様に迷惑を掛けない、という日本人ならば誰しもが持つ精神性からくるものなのだと悟った。

確かに、自分一人が生きるために捕まって、それが元に100人の生を脅かすかもしれない、と言われたら、確かに捕虜にはならないかもしれないとも思った。

 

捕虜になって生還した方々は、基本的にそのことに関し口を閉ざし、物事を語りたがらないとのこと。それはたぶん「恥」の概念ではなく「申し訳なさ」から来るものだと思う。

なんとなく戦前の日本人の精神性は特殊なものだと思い込んでいたが、根本的なところはむしろ全く変わっていない。今もし同じ事態が起こっても、世間に迷惑を掛けまいと捕虜を選ばない日本人は少なくないだろうと思った。

それを考えると、やはりこの国は二度と戦争をしてはならない。根本的な精神性が変わっていない以上、同じ過ちが再び起きる可能性は高い。