なおぞうのタイ日記

バンコク在住 二児のパパの日常

映画評 関ヶ原

下の子供も月齢11か月を迎え、生活もすっかりリズムに乗ってきました。上の子もそうだったのですが、二人とも夜泣きというものがあまりないので、子供たちが夜寝てしまえば少ないですが自分の時間が持てるのが有難いですね。

さて、そんな自分の時間を使って、最近本なり映画なりを読んでいます。それでもって本日は映画「関ヶ原」のレビュー、というか映画を見て思ったことをつらつら書こうかと思います。

 

原田眞人監督、2017年公開の関ヶ原ですが、原作は言わずとしれた司馬遼太郎の同名小説です。私は歴史オタク(特に戦国、幕末、明治)なので、原作も読んでいます。

映画・関ヶ原ですが、小説3巻分を2時間強のストーリーにしてますので、駆け足感は否めず、たぶん歴史好き以外の人間が見ると、分かりづらいのかなと思います。僕は歴史好きですし、原作を読んでる人間なので、抱いたイメージの答え合わせをしながら映画を見ることができ楽しめました。

ただ、単体の映画としては上述のとおり分かりづらいし、映画のテーマも不明瞭(見終わったあと、何を思えばいいのか分からない)なので、かなりイマイチな映画と思います。なので、映画に興味がある人は、せめて見る前には関ヶ原の合戦とはなにかを下調べした上で、見ることをおすすめします。

 

この映画の主人公は石田三成(西軍の実質的な大将)なのですが、彼は義を重んじる豊臣の武将として、不義を働く家康(東軍の大将)に、正義の鉄槌を落とす、という構成になっています。

では、石田三成にとって義とは何だったのでしょうか?ここがいまいち明確に語られないので、視聴者のテーマ理解が消化不良になり、結果的に映画の評価自体を押し下げてるのだと思います。

私の感覚からすると、三成の義を深堀れないのは少ししょうがないのかな、という思いがあります。なぜなら私が考える三成の義というのは、秀吉の遺訓を守るという浅いレベルの義でしかなく、周辺の人々の共感を得られるものではなかったからと思います。その証拠に、秀吉亡き後の豊臣家の最重要人物たる高台院(おね)の後ろ盾を三成が得られていないからです。

映画では三成のことを義の人物とキャラ付けしてますが、その義は独りよがりで、周りから見たら単なる家康嫌いの武将が蜂起したくらいにしか見られてなかったのだろうと推測します。それでもって家康嫌いの他の諸侯(上杉、毛利、宇喜多など: 要は家康に負けていない大大名たち)が、家康の好き勝手にはさせない=家康の下につくのは納得いかんという思いで三成の蜂起に追従しただけ。

三成=義の人間と言いつつ、大した義がないので、テーマがぼんやりし、観客が付いてこれず低評価映画の烙印が押されてしまったのだと思います。

 

上記から関ヶ原をストーリーの柱にした場合、どういうテーマで深堀しようとするかでだいぶ評価が別れてきそうですね。私だったら、大谷吉継(友情の話にする)、あるいは高台院(豊臣家代表として、関ヶ原をどう位置付けたか)でストーリー深堀していけば、面白い話になりそうな気がします。