なおぞうのタイ日記

バンコク在住 二児のパパの日常

渡邉恒雄 戦争と政治

これはかなり骨太かつ上質なドキュメンタリーだった。

まず、映像メディアの盟主たるNHKが、活字メディアのそれの読売新聞の名物社長を題材にドキュメンタリーを作る。この時点でNHKすごい、と思わせる。

次いで、渡邉恒雄。世界一の発行部数の主筆を未だやりつづけているだけあり、90歳を超える年齢を感じさせない、聡明かつ芯のある語り口が健在なことに驚いた。

巨人のナベツネ、みたいなどちらかと言うと悪いイメージが先行していたが、政治を語らせると、現実主義で、国を良い方向に導こうと考え、実行してきた活動家だったことが分かった(結果的にそれが良かったかどうかは分からないけど)。

あと、戦争の原体験は、渡邉恒雄に限らずその時代の個人に対しとてつもない影響を与えるものだと感じた。渡邉恒雄は学徒出陣経験者。田中角栄、中曽根康弘も従軍経験者。そのような人間は、どのような思想の持ち主であろうと、絶対に戦争に反対する。それが戦争を知らない世代とのエネルギーの違いと感じた。渡邉恒雄の場合はその信念が、新聞記者という枠を超えて、政治の世界に当事者として関与せしめたのだろうと思った。

マスコミは中立で客観性を担保するのが基本的な考え方であるが、個人的にはある意思を持って、それを表明し発信するスタイルの方がよっぽど見ていて面白い。今のマスコミも、もっとそうしていけばいいのにと思う。

 

気に入った言葉「君子、豹変す」

人の考えや信念は、時や場合、状況によって変わるのが当然のはず。それを頑なに固持すると逆に自分を見失い、結果も悪い方向になると思った。一度決めたことでも風向きが悪いと思ったら、筋を通すとかプライドみたいなものは全て捨て去り、新たに正しいと思ったことに鞍替えする勇気を持とうと思った。

 

気になること「共産党の組織、人心掌握術」

渡邉恒雄が彼の読売新聞社 社長として、非常に役立ったとスキルとのこと。僕も学びたいところだ。

 

 

NHKドキュメンタリー レイテ戦記 

毎年、この時期になると太平洋戦争にまつわるドキュメンタリーや特集、映画が放映されます。

個人的に関心がある分野なので、いろいろ探して見る訳ですが、YouTubeで見たNHKのドキュメンタリー、レイテ戦記は考えさせられるものだった。特に、捕虜に関する考察。

これまで、日本軍の兵隊はなぜ捕虜にならず、玉砕や自決を選んだのか、不思議でしょうがなかった。軍隊がそう決めるのは分かるが、なぜ個人レベルでもその教えに従ったのか?生きて捕虜の辱めを受ける?いや、そんなの関係なく、捕虜になって生きようよ。と思っていた。

だが、この放送で捕虜の選択肢を選ばない理由が少しわかった気がする。

捕虜になると、衣食住が提供される代わりに米国による尋問がなされる。この尋問では、日本の各都市の地理情報や、軍施設、工場情報などが自らの知ってる範囲で洗いざらい吐かされる、とのこと。

タイミングは折しも戦争末期で日本各地が米軍爆撃機の空襲を受けていた頃。すなわち、自分が尋問で伝えた情報に基づき、日本空襲の精度が上がり、自分が生まれ育った故郷や思い出の地の被害を増やすかもしれないことを意味する。

この観点から、生きて捕虜の辱めを受けないとは、武士道的なものが根底にあるわけではなく、人様に迷惑を掛けない、という日本人ならば誰しもが持つ精神性からくるものなのだと悟った。

確かに、自分一人が生きるために捕まって、それが元に100人の生を脅かすかもしれない、と言われたら、確かに捕虜にはならないかもしれないとも思った。

 

捕虜になって生還した方々は、基本的にそのことに関し口を閉ざし、物事を語りたがらないとのこと。それはたぶん「恥」の概念ではなく「申し訳なさ」から来るものだと思う。

なんとなく戦前の日本人の精神性は特殊なものだと思い込んでいたが、根本的なところはむしろ全く変わっていない。今もし同じ事態が起こっても、世間に迷惑を掛けまいと捕虜を選ばない日本人は少なくないだろうと思った。

それを考えると、やはりこの国は二度と戦争をしてはならない。根本的な精神性が変わっていない以上、同じ過ちが再び起きる可能性は高い。

渋滞

バンコクは世界でも有数の渋滞大国です。通勤ラッシュの時間帯で渋滞が発生してしまった時は、1キロ進むのに10分かかるなんてざら(時速5キロ!?)。f:id:Nao-san:20200623100554j:image

それがバンコクの常識だったのですが、コロナの影響でかつての渋滞が鳴りを潜め、かなり快適な交通事情になっています。

生活が元に戻ったら、交通事情も元通りかもしれませんが、ある大きな外乱要因が社会的な課題に一石を投じる、という現象は何も日本だけに限った話ではないのだろうと思いました。

(よく日本は、外乱要因がないと社会改革は進まない、自発性がない国と評価されがちですが、他の国も変わらない。)

 

社会は平穏に戻りつつありますが、今回の騒動をチャンスに、変えられるものは変える、ということをしていきたいですね(オフィス流動化、ペーパーレス、通勤フレックス等)

 

 

雨季に入りました

タイは南国に位置しているので、年中夏みたいなものですが、それでも季節は3つに分類されており、夏(3月〜5月)、雨季(6月〜10月)、乾季(11月〜2月)といった具合でしょうか。

ということで、バンコクは絶賛雨季に突入しました!

タイの雨季はスコール的な1〜2時間強い雨が降って終わり、とよく言われていますが、ここ最近は日本の梅雨みたいに、シトシト振り続ける雨も多い気がしています。これも地球の気候変動の影響でしょうか?

 

この前も外を走っていたら、スコールにやられびしょ濡れになりました。おちおち運動もしてられません。

はよ雨期終われ〜。

映画評 関ヶ原

下の子供も月齢11か月を迎え、生活もすっかりリズムに乗ってきました。上の子もそうだったのですが、二人とも夜泣きというものがあまりないので、子供たちが夜寝てしまえば少ないですが自分の時間が持てるのが有難いですね。

さて、そんな自分の時間を使って、最近本なり映画なりを読んでいます。それでもって本日は映画「関ヶ原」のレビュー、というか映画を見て思ったことをつらつら書こうかと思います。

 

原田眞人監督、2017年公開の関ヶ原ですが、原作は言わずとしれた司馬遼太郎の同名小説です。私は歴史オタク(特に戦国、幕末、明治)なので、原作も読んでいます。

映画・関ヶ原ですが、小説3巻分を2時間強のストーリーにしてますので、駆け足感は否めず、たぶん歴史好き以外の人間が見ると、分かりづらいのかなと思います。僕は歴史好きですし、原作を読んでる人間なので、抱いたイメージの答え合わせをしながら映画を見ることができ楽しめました。

ただ、単体の映画としては上述のとおり分かりづらいし、映画のテーマも不明瞭(見終わったあと、何を思えばいいのか分からない)なので、かなりイマイチな映画と思います。なので、映画に興味がある人は、せめて見る前には関ヶ原の合戦とはなにかを下調べした上で、見ることをおすすめします。

 

この映画の主人公は石田三成(西軍の実質的な大将)なのですが、彼は義を重んじる豊臣の武将として、不義を働く家康(東軍の大将)に、正義の鉄槌を落とす、という構成になっています。

では、石田三成にとって義とは何だったのでしょうか?ここがいまいち明確に語られないので、視聴者のテーマ理解が消化不良になり、結果的に映画の評価自体を押し下げてるのだと思います。

私の感覚からすると、三成の義を深堀れないのは少ししょうがないのかな、という思いがあります。なぜなら私が考える三成の義というのは、秀吉の遺訓を守るという浅いレベルの義でしかなく、周辺の人々の共感を得られるものではなかったからと思います。その証拠に、秀吉亡き後の豊臣家の最重要人物たる高台院(おね)の後ろ盾を三成が得られていないからです。

映画では三成のことを義の人物とキャラ付けしてますが、その義は独りよがりで、周りから見たら単なる家康嫌いの武将が蜂起したくらいにしか見られてなかったのだろうと推測します。それでもって家康嫌いの他の諸侯(上杉、毛利、宇喜多など: 要は家康に負けていない大大名たち)が、家康の好き勝手にはさせない=家康の下につくのは納得いかんという思いで三成の蜂起に追従しただけ。

三成=義の人間と言いつつ、大した義がないので、テーマがぼんやりし、観客が付いてこれず低評価映画の烙印が押されてしまったのだと思います。

 

上記から関ヶ原をストーリーの柱にした場合、どういうテーマで深堀しようとするかでだいぶ評価が別れてきそうですね。私だったら、大谷吉継(友情の話にする)、あるいは高台院(豊臣家代表として、関ヶ原をどう位置付けたか)でストーリー深堀していけば、面白い話になりそうな気がします。

 

 

 

書評 秀吉・家康・政宗の外交戦略

グローバリゼーションが叫ばれて久しいですが、本当に今の時代、物理的な距離というのは何か物事を行う上で、あまり障壁にならないと思います。

グローバリゼーションを可能にしてる要因は、長距離移動のコスト低下(要は航空運賃の低下)と、インターネットの普及でしょうね。

それで、グローバリゼーションってのは日本にいて海外のものに触れる機会を圧倒的に増やしてくれていると思いますが、私のように海外に住んでいる人間からすると、海外にいても日本のものに容易にアクセスできることも意味します。

ここでタイトルに戻るのですが、日本の本もKindleを経由して、容易に安く手に入れることができます。読んだ本を並べて眺められないことを除けば、やはりKindle超有能です。そんなKindleを活用して読書をしましたので、その書評をしたいと思います。

さて、読んだ本は秀吉・家康・政宗の外交戦略というタイトルですが、まずなぜこの本を選んだか説明しておきます。

個人的に秀吉は三英傑の中で一番好きなのですが、やはり晩年の行いが残念であることは否めません。その晩年の狼藉の中でも、文禄・慶長の役(朝鮮出兵)をなぜ実施したかは、なかなか合理的な説明ができず、秀吉ファンの私としてはどうにかこの行為を少しは正当化できる背景が見い出せないかと常々思っており、その希望を満たしてくれる本を探していました。この本の説明文では、朝鮮出兵を秀吉なりの外交戦略の一部と解釈していると記載があり、まさに自分の疑問に答えてくれる本と思い購入に至ったわけです。

読んだ感想ですが、、、10点満点中4点というところでしょうか。まぁ結論から言うと、私の疑問、なぜ秀吉は朝鮮出兵を行ったかに対する答えが、クリアでなかったというのが低評価の理由です。

 

筆者曰く、秀吉の朝鮮出兵は日本の防衛を意識した、外交戦略だったということです。もう少し深堀すると、朝鮮出兵を実施する事で、日本の武力を当時の世界の強国であるスペイン、ポルトガルに示すことで、それらの国の日本に対する侵略意図を削ぐ目的だったというのです。

実際にこの時代はイエズス会等を中心に布教活動が実施されていたのですが、その布教がこれらの国による日本侵略の内部工作であり、それに気付いた秀吉が、バテレン追放令を発布した上で、更に日本への侵略意思を挫くため、朝鮮出兵を通して武力を誇示し日本に侵略するのはハイリスクであることを示した。結果的に、スペイン、ポルトガルのアジア武力支配は東南アジア圏に限定され、日本への武力進行は実施されなかった、というロジックです。

 

正直、なかなか苦しいロジックかなと思います。

結果的に朝鮮出兵が、日本の武力レベルを示し、スペイン、ポルトガルの武力進行を防いだ可能性はあると思いますが、秀吉の朝鮮出兵の意図が本当にそこにあったというには論理の飛躍があると思います。

出兵の目的を武力レベルの誇示とするならば、出兵はあくまで朝鮮内に留めればいいだけで、明まで進行する必要はありません。それを行うと、無駄に日本の戦力を疲弊させ、スペイン、ポルトガルの進行を許す可能性もあるからです。

それをせず、明まで進行した上で、朝鮮や明に日本への服従を求める秀吉の姿勢を鑑みるに、やはり出兵の目的はあくまで領土拡大にあったのではと考えるのが自然と思いました。

 

本を読んだ上で、晩年の秀吉の各種行動はやはり擁護できるものではなく、自らで豊臣政権の命を縮めたと考えるのが自然かと思いました。

どんなに天下取りの過程が素晴らしくとも、一度権力を握ってしまうと、腐敗が始まる。おごれる平家は久しからず、というのはいつの時代も共通なのかと思いました。

 

トレーニング

タイもコロナの影響で商業施設閉鎖や外出規制が3月終わりぐらいから始まっていました。

バンコクでの生活はかなり車に頼ることが多く、元々歩く機会が限られていた上に、今回の外出規制で、もはや1日の徒歩がデスクとトイレの往復のみになっていました。

脂肪燃焼が限りなくゼロに近いにも関わらず、腹だけはいっちょ前に減りご飯は食べる。腹周りが樽みたいになってきので、流石にヤバいと感じ、一念発起。ランニングを始めました。

痩せるついでに、、、ここは常夏のタイ。プールに入って裸体をアパートの若奥様方に晒す機会も多いので、筋トレも始めます。

 

今日の体重は64キロ。これを食事制限ではなく、トレーニングで61キロを目指します(筋トレに関しては、アパート内の若奥様方から、なおぞうさんって細マッチョですよね、と言われるレベルを目指します!?)